宮城県牡鹿郡にある女川町(おながわちょう)に行ってきた。前回訪れたのは2012年3月。なんと14年ぶりである。

写真は道の駅おながわにあるお魚屋さん「おかせい」の「前浜丼」(1600円)。100%女川産の地魚オンリー海鮮丼である。真鯛、ホタテ、銀鮭、すべてがめちゃくちゃにうまい。女川はカキやホタテ、銀鮭の養殖が盛んな土地で、暖流と寒流がまざる金華山沖漁場も近い。海産物の素晴らしさは全国トップレベルだ。
訪れた2026年10月3日は、ウニが終わり、さんまが始まるというちょうど入れ替わりの時期。店の前では炭火でさんまを焼いている(500円)。脂のノリはこれからだが、鮮度抜群で香りは最高。旨味と苦みがピュアなワタまでうまい。氷水で冷えたアサヒスーパードライ(300円)で流し込む。極楽である。
青空の下の街を眺めながらふと気づく。建物、道路、街灯や信号機といった設備が、すべて真新しい。あの津波で、街の中心部のほとんどが流されたからである。

最大津波高14.8m、最大浸水高18.5m、最大遡上高34.7m。当時の人口約10,014名に対して死者575名、死亡認定者(震災により行方不明で死亡届を受理された方)252名。写真は津波で倒壊した交番。震災遺構として保存されている。
14年前、2012年3月に訪れた女川町は、震災後のがれき処理の真っ最中だった。民間の土地を借り受けて仮置場としてがれきをため、中間処理施設で分別し、県外でも広域処理した。そのころに見た街の記憶と、いまの女川で景色が重なる風景は、ほぼみあたらない。いまみているのは、徹底的な津波対策をしたあとの女川である。
大規模な盛り土をして地盤を嵩上げし、道路を引き直し、駅の場所を変え、海抜の高さごとに土地の利用用途を定めた。先ほど焼きさんまでビールを飲んだ国道398号沿いは「商業・業務エリア」。飲食店や店舗、郵便局や銀行、新しく作り直した交番などがこの高さにある。住宅や学校は高台に配置した。商業・業務エリアでは避難基準と避難経路があちこちに示されている。

リアス式海岸の地形では、海辺からすぐそこに高台がある。街を見下ろすべく、高台の一つに登った。現在は女川町地域医療センター、地震当時は女川町立病院があった「堀切山」という高台である。かつて高台の下にあった建物の一つが七十七銀行女川支店。行員13人は2階建て支店の屋上に逃げ、津波に巻き込まれた。1人が救助され、4人が死亡、8人が行方不明のままである。
津波はこの高台の上まで来た。女川町立病院は1階部分が浸水し、CTやMRI、医薬品、電子カルテなどが使えなくなった。なにより、いま立っているところより下には確実に水が来たという事実にがく然とする。震災後、「この高さまで津波が来た」ことを示す石碑が女川町の各地におかれた。
石碑は全部で21基ある。第1号石碑があるのはプロジェクト発祥の地、旧女川第一中学校の前。堀切山を降り、作り直された街を通り抜け、再び坂を登って、1号石碑を見に行った。石碑にはそれぞれ異なる俳句が詠まれている。1号基に刻まれた句は、恐ろしい鋭さで未来を指していた。
登って石碑をみて、そのあと海まで降りる。この高低差が津波の高さそのもの。理解に苦しむ。津波のあと、内陸側に移動して建てられた女川駅舎が開業したのは2015年3月。駅舎内には「女川温泉 ゆぽっぽ」という温泉施設がある。うっすらかいた汗を流し、湯船に浸かる。湯上がりに駅舎の3Fから女川の街を展望する。
夕日が雲を赤く染める。鐘の音がする。夕凪の海は昼間よりも穏やかな表情である。
Nikon Z50II + NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR





